ストゼロを飲んで

 先日、酒を飲んだ。人生初ストゼロ。どうせならと思い大きめのサイズのものを買った。

 で、まあ案の定酔った。目の焦点はぶれるし、浮遊感で足元はおぼつかないし、ぐったりしていつもより長く寝た。そして気持ち良かった。とはいえ泥酔というレベルではない。私は酒飲みではないけど、アルコールに強い両親の血故か、決して弱いわけではなかった。だから基本的に一缶程度の酒なら酔わない。けど、さすがにストゼロは酔った。

 

 なんとなく思った。きっと世の酒飲みさんはあの酩酊感が欲しくて酒を飲むんだなあと。いやそんなの当たり前なのだけど、あの時初めて実感をもって理解した。酒飲みは正直理解できない存在ではあったのだが、少しあの人らの気持ちが分かったような気がする。繋げて、喫煙者の気持ちも少し理解できるような気もする。

 あの何もかもどうでもよくなるような幸福感。なるほど確かに気持ちの良いものだった。あれを味わうためなら、私もきっとまたストゼロに手を出すのだろう。既に、次は三ツ矢で割ってみてはどうだろうとか、もう少し度の強い酒はないのだろうかとか、考えてしまっているのだから。やはり酒など飲むべきではなかった。味を知るべきではなかったな。

 

 創作では度々、酒は幸せの象徴として描かれたりする。エロゲだとサクラノ詩とか。ワンピースだって、章の終わりには宴を開いて酒を飲んでいる。他にも多分沢山ある。

 けど、酒って幸せなだけじゃない。飲みすぎると気分が悪くなるし、そもそも身体に負担をかけるものだ。酒は、自分を傷つけながら飲むものなのである。その代償として一時の幸せを得る。

 酒、というか幸せの自虐性とでもいうのだろうか。マゾヒズムかな?自分を傷つけるというのは、実は気持ちいいものらしい。よくよく考えると不思議なものだ。「自分を傷つける行為」は「気分が悪い」と繋がっていないということなのだから。

 私は怪我をするのが嫌だ。痛いし、痛いということは気分が悪くなるということだから。つまり、私の中では「痛い」と「気分が悪い」は繋がっているはずなのだ。だったら、傷つけた先には痛みがあるのだから、幸せにはなりようがないように思える。一体、どこで幸せは生じているのだろう。

 多分、傷つけるという行為自体が幸せを生むんだと思う。行為の結果得た「痛み」には大した意味がない。自分の意志で、自分を傷つける。それ自体が幸せを生むのだ。何で幸せが生まれるのか。それは多分、自分を傷つけるという行為が「いけないこと」だから。そして、やっちゃいけないことをやりたがるのが人間だから。だから気持ちがいいし、幸せになる。

 

 まあそんな感じのことを考えた。ストゼロの入って抜けた頭の中で。だからどうということもない。ただそうなんだなと思っただけ。理論が破綻しているかもしれないし、詰め切れていないかもしれない。でもそう思った。

 次はいつ酒を飲もうかな。またストゼロを飲みたい。ストゼロじゃなくてもいい。とにかく酔える程度には強いお酒が飲みたい。酔わないと、お酒を飲んだ気がしないものな。